CPAG | CONTENPORARY PHILOSOPHY IN THE AGE OF GLOBALIZATION

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「グローバル化時代における現代思想」(CPAG)若手研究者ワークショップ
「ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で』から出発して」

2013年2月23日(土)
東京大学駒場キャンパス第10号館301会議室

レポート

2013年2月23日、東京大学駒場キャンパスにて東京大学 CPAG 主催/UTCP・東洋大学 IRCP共催によるワークショップが行われた。
当日は会議室が超満員となるほど多くの来場者があり、活気のある議論が行われた。
まずはCPAG研究代表者である中島隆博よりCPAGのプロジェクト概要・目的に関する説明があった後、特に「若手」によるワークショップを行う意義についてオーガナイザーの柿並良佑(CPAG 特任研究員)から簡単に説明が行われた。

続いて本企画の端緒となった『フクシマの後で』の著者ジャン=リュック・ナンシーから、「現在も続くカタストロフ」をめぐるメッセージが上映された(会場では日本語訳を配布)。

ジャン=リュック・ナンシー(ヴィデオ・メッセージ上映) ジャン=リュック・ナンシー(ヴィデオ・メッセージ上映)

ヴィデオ・メッセージを見る(外部サイト)

以下メッセージ日本語訳

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こんにちは。

東京大学で行われる会議にメッセージを送ることができて光栄です。このメッセージは渡名喜庸哲さんと柿並良佑さんの計らいで皆さんにお届けしています。お二人からはフクシマのカタストロフ(大惨事・破局)から2年後に行われるこの会議の開始にあたって何かコメントを、と言われています。

私が申し上げたいのは、カタストロフは続いているということです。われわれは2年も続くカタストロフを目の当たりにしているということ、そしてまたこの2年の背後には、チェルノブイリのカタストロフ以降に過ぎ去ったすべての歳月が控えているということです。あるいはつい最近起こった、さほど大きくはないとはいえ、これから大きくなる可能性のある事故もありましょう。そしてまたヒロシマとナガサキという名を持つカタストロフの後に流れたすべての歳月のことも周知のとおりです。

カタストロフが続いていると言いましたが、それはもしかしたらカタストロフという言葉すらもはや適切な語ではない、ということなのかもしれません。というのもカタストロフというのは、その元になったギリシア語が示しているとおり「突然の転回が起こる時」という意味で、ある一瞬しか続かないはずのものだからです。続いてカタストロフの後が来るはずなのです。多くの災い、苦しみがあるでしょう。ですがそれにもかかわらず、そこから新たな歴史の瞬間へと移行するものだったわけです。

今日の文明の問題ですが、それは自ら文明だと名乗る文明、いずれにせよほとんど世界全体という構造を持つ文明ですが、この文明は自らがカタストロフそのものであり、そのカタストロフから抜け出していない、それどころかどうやらその中にどんどんはまり込んでしまっている、ということです。日本における原子力産業の未来と非‐未来という問題は、当然皆さんの方がよくご存知でしょうけれども、政治的でもあり社会的でもあり経済的でもあり、そして技術的な問題です。言い換えれば、必然的に新たな技術探究、新たな発明と切り離せない問題です。同時に、こうした技術を利用する文明に関する思考全体の変化と切り離せないのです。

この問題、そして不安が執拗に続いているということは、次のような事実を意味しています。われわれの文明はもはや、これまで持っていたと信じていた使命への展望や大きな目印を持つことができないということです。すなわち、理性、科学、制御、進歩といった目印です。そうこうするうち、このように事態が悪化し続けていった果てにあるのは、カタストロフという観念すら乗り超えてしまった、次のような問題です。いったい世界とは――そう、人類だけではないのです――、世界とは何を意味しているのか、という問題です。われわれはいわば世界の新たな始まりの前夜に臨んでいるのかもしれません。果たして、われわれはこのような条件において、明日の、そしてさらにその後の世界の新たな始まりを思考することができるのでしょうか。

どうか皆さんが、今日の東京大学での会議で、この課題に対して共に力を尽くされますように。

それでは。

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続いて四名の登壇者による発表が行われた。

まずは東洋大学研究助手の渡名喜庸哲から、「破局の凡庸さ――ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で』の後で」と題し、現在の「ふくしま」の状況に関して、自身の見聞も踏まえた発表がなされた。

発表ではナンシーの言う「一般的等価性」の概念を安全問題の発生源の変遷と照らし合わせながら具体的に展開し、またヒューマン・ファクターの名のもとに人間が技術的環境に適応させられていく状況が浮き彫りにされた。

またこれまで十分に吟味されてきたとは言い難い、ギュンター・アンダースやマルティン・ハイデガーといった思想家たちの言葉を検討しつつ、思考のプラクシスというナンシーの主要モティーフを我々がいかに引き受けていくべきか、という問いが提示された。

渡名喜庸哲 柿並良佑
渡名喜庸哲 柿並良佑

続く柿並良佑の発表「「技術」への階梯――エコテクニーから集積へ」は、必ずしもまとまって形では提示されていないナンシーの技術論を描き出すべく、まずは技術について言及されたテクストから、技術と自然の対立という伝統的な構図を再検討する必要を取り出した。技術は技術に外在的な目的から判断・評価されてはならず、そのものにおいて問われねばならないというナンシーの問題提起を受けて、彼が或る時期に集中的に論じたエコテクニー概念を概観しつつ、それが『フクシマの後で』に収録された「集積について」と取り結ぶ関係について、ナンシーの共同体論・存在論とも関連するいくつかの問題点を指摘した。

休憩をはさんで、UTCP特任助教の星野太から「分有のための空間――ジャン=リュック・ナンシーにおける存在論的「デモクラシー」」と題して、ナンシーの「政治」をめぐる発表が行われた。初期の「政治的なもの」についてから、近年の民主主義論に至るまでの議論を概観しつつ、民主主義と等価性の両義的な関係、「精神」としての民主主義など、いずれも慎重な検討を要する問題が提起された。ナンシーの議論をさらに展開するため、同世代の哲学者であるジャック・ランシエールの政治哲学との比較も試みられた。

星野太 佐藤嘉幸
星野太 佐藤嘉幸

最後に筑波大学の佐藤嘉幸から「一般的等価性、集積、セキュリティ権力」と題する発表が行われた。ナンシーの用いる一般的等価性という概念が、たとえば軍事技術と民生技術の等価性といった具体的なレベルにおいて取り上げ直され、また集積という概念は核技術との共存不可能性のテーゼに展開された。続いて知と権力をめぐるフーコーの知見やジョン・W・ゴフマンによる放射能の研究を活用しつつ、被曝量を対象とした知と権力の関係が具体的に分析された。

(フロアとの議論の模様) (フロアとの議論の模様)

再度休憩をはさんで、質疑応答が行われた。
各発表者の内容をさらに掘り下げる質問から、原発・フクシマ問題にたいする哲学者の関わりについて、あるいはナンシーのテクストを読む意義について、さまざまな立場からの質問が寄せられ、いずれも白熱した議論に発展した。

(フロアとの議論の模様) (フロアとの議論の模様)

「若手」ワークショップと銘打ったことが功を奏してか、会場には若い学生と思われる人々の姿が多くみられた。また司会の好アシストも手伝って質問・議論にも積極的に参加していただいた。
最後に付言させていただくなら、「気軽な形で、しかし真摯な議論を」という当初の目的はひとまず達成されたように思う。オーガナイザーとして、本ワークショップに参加・協力してくださった全ての方に改めてお礼を申し上げたい。しかしこれは一つのイベントの終わりではなく、今後も持続されるべき議論の始まりにすぎないこともまた強調しておきたい。

(文責:柿並)