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CPAG/ICCT国際シンポジウム(6月27日・28日)プレイベント
【報告】飯塚容教授講演会「現代中国文学の状況と孫甘露」

2014年6月21日(土)
東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室


【報告】飯塚容教授講演会「現代中国文学の状況と孫甘露」

今年度のCPAGの活動における一つのクライマックスが、一週間後に迫っている。6月27日、28日に開かれるCPAG/ICCT国際シンポジウム「“現場”の挑戦と文学の営み」がそれである。本シンポジウムの詳細は近日アップされる報告に譲るが、ともかく、このシンポジウムそのものにも一つのクライマックスが設定されている。それが2日目午後に日中作家3名を迎えて行われるセッションである。このセッションは、文学的実践を通して言葉が/によって開かれる「現場」を訪ねる、という主旨の本シンポジウムの核心であるだけでなく、人間と社会の両方に立脚した「新しい普遍」を(再)提示しようとするCPAGのプロジェクトそのものにとっても、必ずや大きな意味を持つに違いない。

さてこのセッションに登壇予定の一人である孫甘露氏は、中国における所謂「先鋒小説(前衛小説、アヴァンギャルド小説)」の大成者といわれ、「訪問夢境」、「信使之函」、「我是少年酒壜子」を始め多くの作品を発表し、国内外に多くの読者を持つ。孫甘露氏を迎えるにあたって、石井剛准教授(東京大学)を中心とする読書会が結成され、過去2回にわたって読書会が開かれた。孫甘露作品は、その難解さによって多くのメンバーを大いに苦しめたが、同時にその研ぎ澄まされた美しさは不思議な引力を持ち、やがてモダニティや「上海」、男/女をめぐる活発な議論へと導いた。この読書会の詳細については、王欽氏(NYU)による報告を参照されたい。

さらに6月21日(土)には、飯塚容氏(中央大学教授)を招いて「現代中国文学の状況と孫甘露」と題する講演会が開かれた。飯塚教授は中国近現代文学および演劇の研究を専門とし、高行健、鉄凝、余華そして蘇童といった所謂「新時期文学」を中心とする現代中国文学作品の翻訳を次々と手掛け、日本に紹介している。とりわけ孫甘露氏の作品中、唯一日本語訳された「請女人猜謎」(「女の解く謎」『中国現代小説』第Ⅰ巻第33号)の訳者でもある。私にとって現代中国文学は、研究分野としてはやや専門外だが、飯塚教授の翻訳作品には度々触れる機会に恵まれた。あくまで一人の文学素人の読者としての感想だが、飯塚教授の翻訳は注釈がほとんど付されず、つまり注釈をほとんど必要としないほどに訳文が研ぎ澄まされており、付帯情報に依頼することなく、作品そのものの世界に直接抵抗なく入っていくことができるような大変スマートな翻訳と思い、感銘を受けていた。今回の講演会は、開始前から、孫甘露作品の翻訳における並々ならぬ苦難や、莫言のノーベル賞受賞にまつわる諸事情に関する歓談が交わされ、非常にリラックスした雰囲気の中で始まった。

前半は「「中国新時期文学」30年の歩み」と題して、1970年代末~現在の中国における政治的思想的状況と文学的潮流との相互連関を中心とする見取り図が与えられた。文革直後の中国に芽生えた「新時期文学」の歴史は、文革時代に残された様々な傷痕を描き、改革・開放の実践を積極的に捉える段階を経て、1980年代中期における「先鋒文学」および「尋根文学(ルーツ探究の文学)」の試みへと向かう。文革によって通常の学校教育の中断と農村でのサバイバル経験を余儀なくされた知青たちが、改革開放によって一挙に、ある意味では無秩序に(講演後に行われた質疑応答の際の飯塚教授による形容を借りると「モダンもポストモダンも一緒くたに」)流入する様々な情報を摂取することによって、如上の新しい潮流が次々と生み出されたが、その一方で思想引き締めのキャンペーンも繰り返され、その都度文学創作に影を落とした。これが1970年代末~1980年代における状況である。

「ポスト新時期」にあたり、主に知青の一世代下の作家によって担われた90年代の文学に関しては、「個人化(私人化)」、「商品化」そして「グローバル化」というキーワードに沿った整理がなされた。すなわち、語られる対象は政治的、社会的な問題から個人的、日常的問題へと移行し、少なからぬ作家が文筆活動をやめ事業家に転身し、或いはテレビドラマの脚本などいわば「金になる」活動に力を注ぐようになり、また海外から中国語で発信する作家も多く現れた。21世紀における文学創作については、主に中国作家協会における変化(内部改革、80後世代の加入)や、中国の各文学賞の選考状況における傾向(農村或いは都市の生活を主題とする作品、地域性の濃い作品が多く選ばれ、また女性による、或いは女性を主題とした作品が存在感を増しつつある)を通して、その「主旋律」を聞き取る試みがなされた。さらに最近の「底層文学」、および文革期~改革開放期に対する「歴史回顧」的文学の隆盛をもって、「中国新時期文学」30年史の概説は閉じられた。

講演の後半は、「「先鋒文学」と孫甘露」と題して、「先鋒文学」という呼称の変遷と、孫甘露氏の経歴に関する説明がなされた。飯塚教授によれば、「先鋒文学」とは比較的最近になって定着した呼称である。飯塚教授は、中国で編まれた様々なアンソロジーの題名と収録作家の分析を通して、現在では「先鋒文学」と呼ばれる多くの作品(孫甘露作品を含む)が、1980年代~90年代には「荒誕小説(不条理小説)」、「探索小説(実験小説)」そして「新実験小説」といったラベルで括られ、しかも括られる作家群の範囲が微妙に変化しつつ「先鋒文学」の出現に至った経緯を明らかにした。「先鋒小説」という呼称は主に、2000年以降出版された様々な研究書における使用を通して定着するに至ったという。

孫甘露氏の経歴に関しては、主に時系列に沿った整理がなされた他、氏の読書歴も話題となった。つまり、孫氏の著作にはロブ=グリエやエリティス、ナイポールといった多くの西洋の小説家や詩人の名が現れるだけでなく、創作手法にも少なからず西洋からの影響が感じられる(先日の孫甘露読書会においても、ブランショの作風との類似性に関する指摘が中島隆博教授から出された)が、青年期の多くの時間を文革下で過ごした氏がいかにして西洋の文学作品を渉猟、吸収したのか。この疑問に答える手掛かりとして、飯塚教授から、2008年韓日中・東アジア文学フォーラムの報告書に掲載された孫氏の文章が紹介されたが、それはまさに、孫氏が自身の創作のルーツを、早い段階からの中国古典文学やソビエト・ロシア文学、フランス文学、また古今中国および西洋の詩歌といった実に広範な読書遍歴に求めたものである。

講演に続いて、質疑応答が行われた。まず、孫氏は小説だけでなく詩歌の創作にも長く携わってきたが、その「反小説」もしくは「メタ小説」と詩作の間にいかなる関係を考え得るかという質問が出された。これに対し飯塚教授は、「詩歌を小説として書いていた」或いは「小説を詩歌として書くように」なった、といった孫氏の言葉(上掲の2008年フォーラム報告書)に触れつつ、孫氏による小説の形式をめぐる実験は、詩作との相互連関を通して深化され、それは恐らく政治状況の複雑な自国において自由な創作を遂行するために選択された方向だろうと回答した。その他、「新時期文学」における先鋒文学の位置付けや、従来のリアリズム話劇に対する反発から生まれ、「先鋒文学」と同じく1980年代に始まった小劇場運動と同時期の小説創作における動きとの相関性、そして孫甘露読書会でもしばしば議題に上った上海コミュニティと孫氏の創作との関係、といった様々な問題をめぐって、活発な議論が展開された。

締め括りに際して、石井准教授から、今回の飯塚教授による講演と、一週間後の国際シンポジウム「“現場”の挑戦と文学の営み」の橋渡しとして、次のような主旨の発言がなされた。文学の書き手は常に「現場」性を持つといえるが、その「現場」への接続の仕方には主に二つの方向があり、一つはリアリスティックに国家や社会の現実を描くもので、もう一つは直接国家や社会の現実を描くのではなく、いわば美的な仕方で「現場」を開いてみせるものである。孫甘露作品を始めとする「先鋒文学」はまさに後者といえるが、このように文学が持つ言葉の可能性を通して「現場」に向き合おうとする試みが、来るシンポジウムにおいて展開されるはずである。

(報告:新居洋子)