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「福島の明日:サポートグループによる挑戦」
レポート
2012年12月18日にUTCPで講演をしていただいた臨床心理士の橋本和典先生がぶらりとオフィスを訪ねてこられたのは3月6日のこと、16日に行われるというワークショップのチラシを携えてのご来訪であった。
「3.11 東日本大震災後の心的外傷の予防と治療」と題された講演会の様子はUTCPのサイトに公開されている。
以来、私は優しさと怒りとユーモアが矛盾なく同居するかのごとき橋本先生の話しぶりに惹かれている。その場でプログラムの概要を聴き、二つ返事で「仙台、行きますよ」と答えたのもごく自然なことであった。
「震災について、福島について、あるいはそれぞれの人生について、誰もが自由に語ることのできるwalk-in centerを福島に作ること」、先の講演会でも橋本先生はそんな夢を――しかし、着実に進められている現実としての夢――を語られていた。自由に語ることのできる場、おそらくは「哲学」とも重なる「場」の創出・出現を見届けないわけにはいかない。そのような想いで私は自分にとって初めての「東北」へと向かった。
ただ、不安が無かったわけではない。「フクシマ」をめぐるCPAG若手ワークショップを企画・運営したとはいえ、私人としての私は福島や宮城と具体的な関係を持っているわけではない。東京の学者見習いが一体何をしに来たのか?――例えばそう問われた場合、私はどう答えるのだろうか……。16日、宮城学院女子大学の学生センター・小ホールにはおよそ50名の参加者が大きな円を作って「アゴラ」は始まった。9種類のワークショップの説明の後、分科会形式に分かれて参加者はいずれかに身を投じることになる。私は橋本和典・小谷英文の両先生がリーダーを務める「福島の明日――サポートグループによる挑戦」に参加した(その他のワークショップにも関心があったが、「福島の明日」は終日参加が前提のプログラムであった)。
他のワークショップとも合同開催であったが、「福島の明日」では午前の参加者は約10名。震災や福島、宮城について思うこと、感じることを何でも話していい、ここに居る人たちだけの話であって口外はしない、シンプルなルールだ。リーダーたちは(少なくとも最初は)イニシアティヴをとらない。振り返ってみれば当然だが、「議論」のために話すわけではないのだから、「方向付け」といったものは不要ではある。誰かがおもむろに、その前に隣の人と自己紹介がてらに話した内容を続けるようにして、自らの体験を話し始める。
時によどみなく綴られる言葉、立ち止まる言葉。自らの経験を語って涙がこみ上げてくる人もいれば、少しずつ自分の経験を語るべき言葉を一粒一粒確かめるようにして語りだす人もいる。そしてまた、2年という歳月、容易には克服されざる経験の克服の過程を、当事者としての怒りと、被災地の状況の客観視と、日常への回復をユーモラスに見つめる眼差しを交えつつ語る人。
先のルールに触れることでもあるので、その内容をここに記すことはできないが、多くの体験談は「家族」に関わるものであったように思う。それは単に近しい人々の集団ではなく、内側に、心理的な――時には物理的な――遠さを伴った家族のことだ。いかにしてそのような家族と共に生きていくのか? いかにして家族の中にある遠さと共に生きていくのか?
このような要約では恣意的との誹りを免れはしまい。おそらくは私もまた震災の被災者の一人として同じ――それぞれに異なりながらも同じ――問いを自分に差し向けつつこのワークショップに文字通り「参加」していたのだ。あの日の震災とそれに続く混乱と同時期に、しかし全く別の状況下で生じた出来事が、各人に同じような効果を、問題を引き起こす。だからこそ、共有しえぬ他人の経験に涙する人もいる。語りが別の語りを呼び覚ます。語ることで自分が何を抱え込んでいるのか、少し見えてくるようになる。
昼食をはさんで午後もセッション(通常は45分を3回行うとのこと)は続けられた。橋本先生がこうした「心の復興」の作業を「荷降ろし」と表現されるように、午後のセッションは午前の少々重い立ち上がりに比べて幾分軽やかな調子を帯びていたように思う。途切れ途切れに語っていた人が、少しずつ流れるように話し出し、涙よりは笑いが増えていく。ごくわずかな歩みかもしれない。だがこのようにしてしか、「心の復興」もその支援も、そしてまた支援の支援も進まないだろう――私は観察者・報告者としてではなく、当事者の一人としてそこに居合わせたのだった。
居合わせるというのは必ずしも誰かと対面で、二人でいることではない。グループでの対話のメリット、それは常に誰かが聴いていてくれること、頷いてくれることであった。とりわけ辛い体験を聴くことはそれなりの体力を必要とする。一人が疲れた時でも他の誰かが聴いていてくれる。それによって、話す人はさしあたり思うところまで話続けることができる。当てのない言葉が誰か、その時傍らに居た思いがけない誰かに届くこともある。そんな小さな希望を改めて感じるに十分な時間であった。最後にこのような場に参加を呼び掛けてくださった橋本先生に、また参加をサポートしてくれたCPAGに改めてお礼を申し上げたい。(報告:柿並)